【ようやく整理できてきたので書き留めておく記録】

突然のことだった。
9月27日 金曜日午前10時くらい。


午前中に片付ける洗濯物や掃除を済ませ、
資料に目を通して一息。
ゴロリとソファに横になってウトウトしかけた時だった。

仕事仲間からのLine。日本時間正午。
いつもおどけたやりとり、スタンプ応酬する仲間からの短い文。

 ○さん
 亡くなったって

冗談じゃないな、これは・・・と悟ったけど
しばらくは理解できなかった。

その故人とはつい3日前にメールを送ったところだった。
5日前にメール、電話で取り掛かっている仕事について話してもいた。
普段と同じ、仕事に熱心な人だった。

確かに私が送ったメールに返信はなかった。
いつも慎重に、じっくり考えるタイプの人だったので
まだ連絡こないだろうな・・・の範疇だった。


しばらくLineの返信ができなかった。
でも本当だろうから・・・


 信じたくない。。。


とだけ送った。

そして日本からの電話を受け取った。
本当だった。


昨年11月、ホーチミンに引っ越してからも、
私はこれまでやってきた
東京での仕事を続けられる環境でいた。

自分が好きなことを続けられるというのは、
仕事相手との信頼関係とフォローしてくれる人が居てこそ成立する。
理解がないとやれないことなので、大変有り難い。

東京には度々出張し、元と同じ現場の空気を吸って、
リフレッシュした気分で仕事に臨めた。
こうした環境で役に立てるのは嬉しい、と心から感謝した。

その仕事の中心人物の一人に故人がいた。
ルーティーン仕事だけでなく、特別な企画をやろうと二人で作ったものがある。
そしてこの夏、この制作した仕事が評価された。

秋に少しだけ形を変えて発表するため、どのようにするか
再考していたところだった。
私が考えていること、故人が考えていることを擦り合わせ
いいものに仕上げるために。

私も故人も、ここだけは・・・と主張したい部分があり、
お互いに意見する。熱く議論した。互いに尊重していた。
自分一人では作れないものだから、独りよがりにならないため、
冷静な判断を故人が鋭く突く視点を大切にした。

でも見通しがついたところで、居なくなってしまった。

故人は、この仕事を最後に、
所属先からフリーになるはずだった。

未完成の仕事をどうするか、ということより、
とにかく信じられなかった。
訃報を受けた日が、まさにフリーになるその日だった。


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夏の企画を制作する中、山場を超えた日に軽い打ち上げをした。
故人は日本酒と魚が大好きで、仕事場の近くなら行く店は決まっていた。
いつものように日本酒をするするとのみ、オススメの刺身を食べる。

酔ってきた頃に、フリーになったらどうするか話してくれた。
大学時代からやってきたことがまだ途中になっていたから、
その方向に進もうと思うと。

私と同い年で、気力、体力もある中で環境を変えるギリギリの年齢。
その気持ちが痛いほどわかった。
大きな会社にいながら、フリーになる決断。なかなかできないこと。


夫のSeiに訃報を伝えた。
気持ちがわちゃわちゃしているので、夕飯がまとまらないものを
作ってしまったこと。
いつもなら、汁物、炒め物、蒸し物、焼き物・・・と調理法が違うものを
テーブルに並べて食べたいな、と心がけていたけど、

買ってきたクロワッサンをオープンサンドしようと
卵、ブロッコリーを茹で、トマトをスライスしただけ。
おかず何か加えなくちゃと
厚揚げ豆腐を甘辛く煮て、青菜を昆布ダシ煮炒め。

まさかの和洋めちゃくちゃの献立。
キッチンに立って手は動かしていたけど頭は空っぽ。
テーブルに並んだお皿の滑稽さに、言い訳。


そして夢をみた。
寝つきがよく、滅多に夢を見ないのに。

故人のお葬式に出ていた。
私が棺桶に横たわった故人の顔を見ていたら
パチっと目を開けて
ガバッと起き上がった。

私はぎゃーっと悲鳴をあげた。
同僚たちも目を向いて驚いていた。

故人は起き上がり、棺の中から出てくると
びっくりした? 
ね、ね、ね、びっくりしたでしょ〜と豪快に笑っていた。

故人の口調そのままだった。


心の整理がつかないまま、お通夜と葬儀の連絡がきた。
出られないので、東京の同僚に香典を立て替えてもらう。

日本から離れていると、その場の空気がわからないので引きずっているのか、
濃密な仕事の途中だったので私の心が置き去りになっているのかはわからない。

でも多かれ少なかれ、海外で訃報を受けることはこういうことだろう。


お通夜に行った同僚から、故人の死因がわかり
お顔を見たことで現実を受け止めた、という言葉をもらう。その通りだ。
そして翌日の葬儀に、仕事に関わった大先輩も忙しい中駆け付けたという。

ちょっとずつ心に凪が訪れた。
夕飯を食べながら、そんなことを夫Seiに伝える。
じっと聴いてくれるだけで、聴いてくれる相手がいるだけでよかった。
日本から離れると、こういう一つ一つにじんわりくる。

やりかけの仕事を仕上げよう。
できる限りの事をやろう、やるしかない、そう思った。

そうして冷たい緑茶をグラスに注いだ。
透明なグラスの淵に茶柱が立っていた。
プカプカと浮いていた。
それを見たとき、
”あっ・・・”頭の上に、ポンと明かりが灯った。

故人からの返事だと思っている。
これで気持ちが本当に切り替わった。



昨夜、やりかけの仕事が完了した。
やれるだけのことはやった。
でも心残りはある。

海外で暮らすということを考えた時間だった。



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